大判例

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東京地方裁判所 昭和43年(行ウ)154号 判決

主文

被告が、原告らの昭和四三年七月二三日付再入国許可申請に対し、同年八月二〇日付をもつてなした不許可処分を取り消す。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  原告ら

主文と同旨の判決。

二  被告

(本案前)

本件訴えをいずれも却下する、訴訟費用は、原告らの負担とする、との判決。

(本案)

原告らの請求をいずれも棄却する、訴訟費用は、原告らの負担とする、との判決。

第二  原告らの請求の原因

一  原告らは、いずれもポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づく外務省関係諸命令の措置に関する法律(昭和二七年法律第一二六号)二条六項に基づき日本国に在留する資格を有し、現に日本国に在留する朝鮮民主主義人民共和国(以下「朝鮮共和国」と略称する。)の公民であるが、昭和四三年七月二三日被告に対し、次の理由で再入国許可申請書を提出した。すなわち、昭和四三年九月九日は「朝鮮民主主義人民共和国創建二十周年」にあたつており、同国の在外公民である在日朝鮮人は祖国の同胞とともに、この記念すべき日を祝賀する準備を進め、このたび在日朝鮮人は、各界各層の代表者を網羅した「朝鮮民主主義人民共和国創建二十周年在日朝鮮人祝賀団」を結成し、同祝賀団の団員に選ばれた原告らは、昭和四三年八月二二日日本国を出国し、同年一〇月二三日日本国に再入国の予定で、朝鮮の各種祝賀行事に参加したいと考えるので、再入国の許可を申請する、というものである。

しかるに、被告は、同年八月二〇日、右原告らの申請に対し「国益にそわない」との理由で不許可処分をなした。

二  しかしながら、被告の右不許可処分は、以下に述べるように違法である。

1  原告らの日本国における経歴と再入国の必要性

在日朝鮮人は、すべて祖国の創建二十周年祝賀のため、自国への入国を熱望しているものであるが、このたびは在日朝鮮人約六〇万人を代表して一二名の原告らが前記祝賀団を結成し、別紙日程表記載のとおりの予定で右に参加することとなり、前記再入国許可申請をなすにいたつたものであり、原告らの略歴は以下のとおりである。

原告 許南麒(ホナムキ)

在日本朝鮮人総連合会中央常任委員会副議長。一九一八年六月二四日朝鮮で出生、一九三九年日本に勉学のため入国、中央大学法科、早稲田大学文科等を経て、今日にいたつている。その間一九四四年一月から一九四五年八月まで徴用工として立川飛行機会社砂川工場で、組立工および板金工として強制労働に服せしめられた。家庭には妻蔡淑一と一子許暁(学生)がいる。

原告 金性律(キムソンリユル)

在日本朝鮮人総連合会東京都本部委員長。一九〇八年八月一六日朝鮮で出生、生活苦にあえいだ同人は止むなく一九二七年来日、以来終戦まで土木工事に従事しながら勉学にいそしみ、今日にいたつている。家族には妻朴南伊と五女金和守、二男金英根がおり、ほかに三人の子女がそれぞれ家庭をかまえて独立している。さらに朝鮮共和国には長男と二女が在住している。

原告 李達信(リタルシン)

在日本朝鮮人総連合会大阪本部委員長。一九二四年一月一七日朝鮮で出生。一九三二年八才で両親につれられて来日、苦学の末阪神商業学校を卒業後衣類雑貨商を経て各種運動に従事、現在にいたつている。家庭では母韓宝塔、妻澄子、長女美知子、次女知明(大学生)、三女薫(中学生)ら五人と生活している。

原告 崔泳鎮(チエヨンジン)

在日朝鮮人総連合会福岡県本部委員長。一九一二年一二月八日朝鮮で出生。一九四〇年来日、土木事業に従事した後、各種運動に従事して今日にいたつている。

原告 全京千(チエンキヨンチエン)

在日朝鮮青年同盟中央本部委員長。一九三一年一一月二三日朝鮮で出生。幼いころ両親が死亡したため先に日本に働きに来ていた姉全京安にひきとられて一九三六年来日したが、その後戦時下の日本のなかで所々転々としながら苦学し、現在にいたつている。兄弟は全て日本に在住している。

原告 朴仁順(バリインスン)

在日本朝鮮民主女性同盟中央本部副委員長。一九二九年一〇月七日朝鮮で出生。翌三〇年強制労働に連行された両親につれられて来日。大阪商科女学校卒業後女子工員として苦難の道を辿りながら今日にいたつている。祝賀団唯一の女性である。

原告 洪鳳寿(ホンボンス)

在日本朝鮮人中央教育会会長。一九一七年一月二〇日朝鮮で出生。学問研究のため一九四一年戦時下の日本に入国。苦学しながら駒沢大学仏教学部を修了したのち、各種解放運動に従事しながら今日にいたつている。家族は妻朱銀順、長男南、次女京子、次男南昊であり、長女栄子が朝鮮民主主義人民共和国科学院に研究生となつている。

原告 盧在活(ロジヤホ)

朝鮮新報社長。一九一一年一一月二五日朝鮮で出生。一九二八年生活苦のため来日、ダム工事、鉄道工事、鉱山などで民族差別にたえて働き、今日の職にいたつている。家族は妻辛貞叔、二女奇好(教員)、三女民愛、三女幸好(ともに学生)とともに生活している。

原告 崔国華(チエインハ)

在日本朝鮮人商工連合会理事長。一九一九年一〇月一七日朝鮮で出生。一九四一年徴兵により来日。日本敗戦まで兵隊として働いた。妻道子(歯科医)、長女淑子、二女和子、三女明美とともに家庭生活を送つている。

原告 金圭昇(キムキユスン)

在日本朝鮮人科学者協会会長。一九二二年五月二日朝鮮で出生。一九三九年勉学のため来日、中央大学予科、京都大学法科、同大学院を卒業、教員として現在にいたつている。家族は、李金子、長女善姫(中学生)、長男日宣(小学生)、次男哲宣の四人である。

原告 鄭在一(チヨンジヤイル)

在日本朝鮮人総連合会中央常任委員会副部長。一九二二年五月一三日朝鮮で出生。一九三三年わずか十一才の時叔父に連れられて来目、苦学しながら旧制中学卒業後、土木工事に従事しポリエチレン加工業を経て現在にいたつている。家族は妻申玉、長男政民(大学生)、次男治浩(中学生)の三人である。

原告 金英基(キムヨンキ)

在日本朝鮮人総連合会中央常任委員会副部長。一九二六年七月五日朝鮮で出生。一九三八年勉学のため来日、敗戦直前の混乱期のため勉学が不可能となり旧制中学四年で中退後独学し教員生活を経て現在にいたつている。

以上のように、原告らはすべて朝鮮で出生後、あるいは生活苦のため、あるいは強制的に、あるいは勉学のために来日したものであり、在日歴は短い者でも二七年、長い者は四一年を数え、日本国に家族等を有して全く定着しているのである。しかも原告らはいずれも在日朝鮮人の各界の指導者であり、代表者である。したがつて、原告らは、朝鮮共和国の祝賀式典に別表記載の予定で参加して後、兼び日本国に入国する必要のあることは明らかである。

2  在日朝鮮人の特殊の地位

(一) 日本国内には現在約六〇万人の朝鮮人が在留しているが、れら在日朝鮮人は、かつての日本国の朝鮮における植民地支配から生まれた歴史的所産であり、その大多数がその意に反して来日を余儀なくされたものである。日本国の植民地支配は、土地調査事業、山林調査事業により多数の農民から土地を取りあげて小作農に転落させ、小作農にさえなることのできなかつた農民は職もなく、失業貧民化していつた。このような朝鮮人は飢餓や生活難に追われ、当時急速に発展した日本資本主義が必要とした低賃金労働者となつて、祖国を離れて来日したものである。そればかりでなく、日本国の中国侵略、アジア侵略等戦争の激化とともに、日本国は、「国民徴用令」「徴兵令」を朝鮮人にも適用して、多数の朝鮮人を日本国内に、また南方に「強制連行」し、最も苛酷な労働に従事させたのである。このようにして、日本国の植民地支配の帰結であり、戦争の最大の犠牲者である在日朝鮮人は、日本国土に血と涙と汗とを滲み込ませ、何十年もの間鉄鎖のもとに、日本の社会に根をおろさざるを得なかつたのである。長年日本国で生活し、日本国内に生活の本拠を有し、家族等も日本国内に居住し、今後も日本国で生活する意思と能力を有する在日朝鮮人が、祖国の創建二十周年記念行事に参加するため祖国に帰り、再び日本国に入国したいと願うのは当然である。それにもかかわらず、これらの者に再入国の許可を与えないというようなことは、その生存権、財産権、居住権、家族生活を営む権利、表現の自由等諸々の人権を無視するものである。また、世界人権宣言で明らかに保障さるべき人権としてわれている「自国に帰る権利」が、在日朝鮮人に保障されるためには、朝鮮共和国へ一時帰国し、再び日本国に入国することが認められなければならない。けだし、在日朝鮮人の祖国は朝鮮共和国であり、その生活の本拠は日本国内にあるからである。

(二) 昭和四〇年六月二二日に締結された「在日韓国人の法的地位に関する協定」によれば、在日韓国人については、その直系卑属とともに申請によつて永住権を付与することが定められ(一条)、これらの者が出国にあたり再入国の許可申請をしたときは、法令の範囲内で、日本政府はできる限り好意的に取り扱うことにした(討議記録f項)。そして、法務省の調査によると、在日朝鮮人の再入国許可による出入国者数は、つぎのとおりであるが、

昭和三九年

昭和四〇年

昭和四一年

昭和四二年

韓国への出国

六、七七六

九、〇四五

一二、六八六

一四、三一九

韓国からの入国

六、六六五

八、七六九

一二、二八四

一三、九一三

朝鮮共和国への出国

朝鮮共和国からの入国

同じく在日朝鮮人でありながら、韓国との間の出入国と朝鮮共和国との間の出入国に関する再入国許可につき、かかる差別的取扱いをなすことは許されないものである。

ちなみに、調査結果にあらわれた朝鮮共和国向け再入国許可、不許可の実態はつぎのとおりである。すなわち、多くの在日朝鮮人は、はやくから朝鮮共和国向け再入国許可申請をしていたが、そのうち、昭和三九年五月から同年一〇月までの間に申請した者は、判明しているものだけでも、関東地方五五七名、東北地方五〇名、北陸地方二八名、東海地方 七三名、近畿地方三〇〇名、中国・四国地方八三名、九州地方一〇六名の合計一、一九七名にのぼつている。ところで、昭和四〇年暮ごろになつて、被告側から申請者の数を二〇名くらいにしぼるようにとの示唆があり、申請者側が協議した結果、特に再入国の必要性が高いもの約二〇名を選択してこれを被告側に伝えた。被告側は、そのなかから三名を一方的に指名して、再入国許可を与えるから、日本赤十字社の身分証明書を受取り、出入国管理令施行規則(以下単に「施行規則」という。)別記第二十五号様式の書類に所定事項を記入して出すようにとの指示をしてきたのである。右許可をうけたのは李仁洙、金徳洙(李仁洙の妻)、李光勲の三名であり、そのうち金徳洙は病気のため出国できず、李仁洙および李光勲が朝鮮共和国に渡航して日本国に再入国した。被告側は、残余の人々にも、ひきつづき昭和四一年旧正月ごろまで逐次再入国を許可しようと言明していたにもかかわらず、右二名が祖国で歓迎集会に参加したことを、いわゆる政治活動をしたとして、これを口実にしてまつたく許可を与えないようになつてしまつた。以上のとおり、右三名についての再入国許可は、「人道上の理由」によるものではなく、被告の都合により恣意的に、あるいは許可したり許可しなかつたりしているというにほかならない。

3  朝鮮共和国と原告らとの関係

在日朝鮮人が前記のような苦難の途を歩みながら、なお生き甲斐を感じ、未来への希望を失わないのは、彼等の祖国が建設され、しかもその発展の目覚ましいことである。原告らはこれら在日朝鮮人を代表して、祖国の創建二十周年記念祝典の各種行事に参加するものである。創建後二〇年、今日の国際社会で朝鮮共和国は、独立、主権国家として確固とした地歩を築きあげている。それは他の諸国が同国を承認しているかどうかにかかわりない。そして、同国国籍法一条によれば、「朝鮮民主主義人民共和国創建以前に朝鮮の国籍を有していた朝鮮人とその子女で、本法の公布の日までにその国籍を放棄しなかつたもの」は同国の公民とされ、「その居住地に関係なく朝鮮民主主義人民共和国の政治的、法的保護を受ける」(同法二条)ものとされている。このように、祖国が建設されて二〇年、苦難を乗りこえてその基礎がかたまり、隆々発展すれば、その国の公民として、これを祝うのは当然であり、人が生まれて二〇年になれば成人式をして祝うのと同様である。原告らが祖国に赴いて祝いたいという気持は、人情自然の発露である。しかも原告らは、在日朝鮮人の中から選ばれた人々であり、出国、再入国とも問題の余地のない人々である。もとより、出入国管理令(以下単に「管理令」という。)五条、二四条所定の各事由に該当するものでないことはいうまでもない。

4  本件再入国を許可すべき被告の義務

(一) 渡航の自由の原則

人類の歴史は、辻余曲折を経ながらも、世界の諸人民が、国境を越えて渡航する自由の確立へと進んできた。それは人的物的交流の必然と必要から生ずる自然な性質に根ざすものであるとともに、人民が自由を獲得しうる基本的な手段の意味を有するものであつた。ことに交通、通信手段の急速な発達によつて、地球がいよいよ狭くなりつつある今日にあつては、人類の渡航の自由への要求は日増しに増大しつつある。

渡航の自由確立の理論的根拠は、(1)渡航の自由は、民主主義社会の必然的属性であること、(2)個人が自己の生活手段を獲得するための必要な条件であること、(3)渡航の自由は、表現の自由の前提であること、などであるとされ、渡航の自由は自然権的な基本的人権の一種としての地位を確立していつた。二度の世界大戦とファッシズムの惨禍を身をもつて味わつた人類が、国際連合を組織し、世界人権宣言を採択し、そのなかで国際交通自由の原則を確認したのも、このような渡航の自由確立への方向にそつたものである。

(二) 国際法上からみた在留外国人の再入国

外国人の出入国の問題は、本来渡航の自由の原則から、その一環として考えられなければならないが、一般に外国人の出入国といつても、入国、出国、再入国の三つの場合があり、それぞれの場合にわけて考えなくてはならない。

(1) 外国人の出国

外国人の出国の自由は、一般国民より強い意味で保障されている。外国人で、出国を希望するものに対しては、これを国家的政策によつてチェックしないことが国際慣習法であると考えられている。世界人権宣言一三条二項の「人はすべて、自国を含むいずれの国をも立ち去る権利及び自国に帰る権利を有する」という条項は、交通自由の原則を宣明するものであるが、とくに外国人の出国の自由を強く保障するものということができる。

ところで、原告ら在日朝鮮人についてこれを論ずるならば、原告らは前記のように、いずれも日本に生活の本拠を有するものであるから、その「出国を拒否」しないというだけでは、その者の出国の自由が保障されたことにはならない。生活の本拠へ再び帰つてくることが認められる出国によつて、はじめて出国の自由が保障されるのである。したがつて、世界人権宣言一三条二項は、在留外国人については、出国と同時に、生活の本拠地に再び帰つてくる権利をもつことを宣言したものと考えなくてはならない。

(2) 外国人の入国

外国人の入国については、一般的には、国家は、外国人の入国を許可する義務はもたないとされている。しかし通常は、通商航海条約を結ぶことによつて、相互に入国を認める形がとられ、条約がない場合にも、かなり自由に入国を許可するというのが、国際的慣行であり、この慣行は国際礼譲とされている。つまり入国許可をしなくても国際法違反とはならないが、国際礼譲に反するものとして、当事国が可能なかぎり順守し、実行しなければならない国際道義上の義務違反となるのである。

(3) 在留外国人の再入国

再入国は単なる入国とは異なる。それが単なる入国と根本的に異なるのは、再入国の場合は、その外国人がすでに在留権(在留資格)を有し、かつ現に本邦に在留しているということである。在留資格を有する外国人に対しては、その居住権の承認が前提となり、居住権を有する人には財産権の尊重が不可欠である。したがつて、再入国にたいする不当な制限は、その人の在留権、それに付着する居住権や財産権の侵害となり、また渡航の自由は、表現の自由の前提とされるのであるから、その人の表現の自由を侵すことにもなる。

(4) 外国人の出入国の許否と国家の裁量権

一般論としては、外国人の出入国の許否は、国家の裁量行為に属すると説かれている。しかしながら第一に、一般的抽象的には、裁量行為(便宜裁量、目的裁量)と覇束行為(法規裁量、覇束裁量)の区別は、法が、近代法治国家の原則に照らし、事柄の性質からいつて、行政庁の自由な裁量を許さない場合は後者であり、法が、行政の目的に照らし、行政庁の政治的裁量又は技術的裁量を許容する趣旨である場合は前者であると考えられようが、現実的具体的には、法の趣旨目的と、具体的な事案に即して、法規裁量であるか、便宜裁量であるかを区別する必要があり、本件原告らの再入国許可申請に対する被告の処分が、直ちに便宜裁量に属するときめてかかることはできない。

仮に本件原告らの再入国の許否が、被告の裁量行為に属するとしても、それは決して被告行政庁の恣意独断を認める趣旨でないことはいうまでもない。行政庁の裁量権には、当然一定の限界があるのであつて、裁量権を乱用する場合は勿論、裁量権の限界を越える場合には、単に不当であるに止まらず、違法となるものといわねばならないのである。

(三) 国内法上からみた在留外国人の再入国

(1) 一般原則

日本国憲法二二条は、すべての人に、居住、移転および外国移住の自由を保障し、同九八条では、条約および国際法規の順守を宣明し、憲法前文で、民主主義、平和主義、国際協調主義の立場に立つていることを明らかにしており、憲法上の人権の保障は、権利の性質上、国民のみが享有すると考えられるものを除き、原則としてひろく外国人にも及ぶと解すべきであつて、憲法二二条の保障も例外ではない。

(2) 外国人の出国の自由

外国人の出国の自由は、日本国憲法二二条によつて保障されている。最高裁判所の判例(昭和三二年一二月二五日大法廷判決。)でも、「憲法二二条二項……にいう外国移住の自由は、その権利の性質上外国人に限つて保障しないという理由はない。」と述べている。

(3) 外国人の入国の自由

外国人の入国の自由に関しては、昭和三二年六月一九日の最高裁の大法廷判決があり、多数意見は、「憲法二二条の保障するものは移住、移転および外国移住の自由だけであり、しかもその居住、移転には、外国移住と区別されているところからみれば、日本国内におけるものを指すことは明らかである。そしてこれらの憲法上の自由を享ける者は日本国民に限られていないから、外国人であつても日本国にあつてその主権に服している者に限り及ぶものである。されば憲法二二条は外国人の日本国に入国することについてはなんら規定していないというべきであつて、このことは、国際慣習法上、外国人の入国の許否は当該国家の自由裁量により決定しうるものであつて、特別の条約が存しないかぎり、国家は外国人の入国を許可する義務を負わないものである」云々と述べ、少数意見は、「憲法二二条一項の居住、移転の中には入国も含まれる。旅行等で海外に滞在していた日本国民、海外で日本国籍を取得した日本国民が日本に入国する自由についても憲法上の保障がなければならない。そして『何人も』憲法二二条一項の保障を受けるから、外国人の入国についても同様である。」「外国人の入国についての許否は、本来、その国の自由裁量行為に属し、それが国際慣習法であるという前提に無批判に立脚すべきではない。」と指摘している。

この少数意見は、わが国の憲法を全体として観察するとき、その正しさを承認せざるをえないと思われる。二度の大戦争を経験し、歴史上かつてないほどに、世界中の人民が一致して平和を希求している今日において世界各国人民の交流の希望とその実現の必要性はきわめて強い。現代の世界史的観点からみるならば、外国人にも入国する自由を保障し、広く門戸を解放することこそが、わが国のためでもあり、国際の平和と友好、世界の文化の発展の途でもある。

少なくとも、人権は、「国政の上で最大の尊重を必要とする」(憲法一三条)のであるから、平和主義、民主主義、国際協調主義、人権尊重主義の立場に立つわが憲法上、外国人の人権も最大限に尊重されなければならないのは当然であり、出入国管理の衝に当たる行政庁としては、できるかぎり外国人の人権を尊重することが憲法上要請されているといわねばならない。

(4) 外国人の再入国の権利

外国人の再入国が、単なる入国と異なることは前述のとおりである。憲法二二条は、すべての人に対し、居住、移転および職業選択の自由、海外移住、国籍離脱の自由を認めているが、そのなかには、一時的海外旅行の自由を含むものと解釈されねばならず、「何人も」という規定の仕方からみて、そのなかには外国人をも含むと解釈するのが自然である。そうとすれば日本国に在留する外国人が、一時日本国を出国して、海外を旅行して再び入国する権利も、憲法上保障されているはずである。

思うに、単なる出国と再入国とは、次のような根本的に異なる側面をもつており、したがつて、すべて当該国の自由裁量によつて許否できると考えるべきではなく、少なくともその裁量権はその点から重大な制約を受けるものである。単なる入国と再入国との根本的相異は二つある。

一つは、再入国のばあいは、その外国人が在留資格を有することによつてもつていた既得の権益、つまり、生存権、財産権、居住権その他家族生活を営む権利などが基礎になつているということである。したがつて、単なる入国拒否のばあいとは異なり、再入国を許可されないことはこれらの諸々の利益、権利の剥奪を意味するので、この点がまずなによりも十分に考慮されねばならない。

二つは、単なる入国のばあいであれば、入国しようとする外国人の人柄や経歴が十分にわからず、日本に生活の本拠ももたず、入国後の行動にも不安があるとされるが、再入国のばあいは、人柄もわかつており、住所を有しているのであるから、入国をきびしく制限する必要はないはずである。

また、管理令五条は、外国人の本邦に上陸することを拒否しうる理由として、一項一号ないし一四号および二項の事項を列挙し、同令二四条は、外国人を本邦から退去せしめることができる理由として、一号ないし七号の事項を列挙しているが、本邦在留資格を付与されている外国人は、そのことにより右各事項に該当しないことをおおやけに確認されているものとみなくてはならないのであるから、彼等に対し再入国を制限する必要は一層ないはずである。

右のように、入国と再入国とは根本的に相違があるので、手続上もかなり違つた方法がとられる。すなわち外国人登録法一二条の二によれば、再入国の許可を受けて出国する外国人については、在留資格はなくならず、登録は抹消されず、出国の際外国人登録証明書は、入国審査官に提出され、入国審査官はこれを出国前の居住地の市町村長に送付し、その外国人が、ふたたび入国したときは、右の市町村長にその返還を申請すればよい(単なる出国の場合は、その出国外国人の登録証明書は返納される。)。

このように再入国の許可制度は、再入国者のための査証免除の便宜的制度ではなく、その制度を支えているのは、その者の居住権、財産権、その他の人権であつて、この制度は必然的なものといわねばならない。

ところで管理令二六条一項は、「法務大臣は、本邦に在留する外国人がその在留期間の満了の日以前に本邦に再び入国する意図をもつて出国しようとするときは、法務省令で定める手続により、その者の申請に基づき、再入国の許可を与えることができる」と規定しているが、その文言自体から、再入国の許可不許可が、法務大臣の自由裁量であると解すべきではなく、再入国許可制度そのものの性質や、現実的具体的な事案に則して、行政庁の裁量行為であるかどうか、またその裁量行為にも、どのような内在的な制約があるかを決すべきであることは前述のとおりである。再入国許可制度は、一般論としても以上に述べたように、行政庁の裁量行為と断ずることはできず、また仮に裁量行為であるとしても、きわめて強度の制約があるのである。

5  以上1ないし4によつて明らかなように、被告は、原告らの本件再入国許可申請につき、これを許可すべき義務があるにもかかわらず、「国益にそわない」などという抽象的かつあいまいな理由を構えてこれを不許可処分にしたことは、不当な政治目的によつて原告らの権利を侵害ないし制限するものであつて違法であるといわなければならない。

三  よつて、被告が、原告らの昭和四三年七月二三日付再入国許可申請に対し、同年八月二〇日付をもつてした不許可処分の取消しを求める。

第三  被告の主張

(本案前の主張)

一  被告は、原告らが本訴において取消しを求めている不許可処分をしていないので、原告らの本訴はいずれもその対象を欠く不適法なものであるから、却下さるべきである。すなわち、

管理令二六条には、日本国に在留する外国人が、その在留期間満了前に、日本国に再び入国する意図で出国しようとするときは、法務省令で定める手続により、その者が許可申請をし、法務大臣は、右申請に基づき再入国の許可を与えることができる旨定められ、これを受けて施行規則二四条は、申請者本人が法務省又は入国管理事務所に出頭して、同施行規則「別記第二十五号様式」による申請書二通を法務大臣に提出し、その際、旅券、外国人登録証明書等所定の書類を呈示しなければならない旨規定している。

ところが、原告ら主張の「原告らの昭和四三年七月二三日付再入国許可申請」は、昭和四三年七月二三日付で被告に提出された「朝鮮民主主義人民共和国創建二十周年在日本朝鮮人祝賀団団長許南麒」名義(同祝賀団印が押捺されている。)の再入国許可申請書と題する書類(乙第一号証)を指すものと考えられるが、同書類には、理由として原告ら主張のごとき理由が記載され、次いで日本国出国および日本国再入国予定日ならびに祝賀団の構成員として一二名の原告らの氏名、所属団体名が記載されているにすぎない。したがつて、右書類は、その記載の形式、内容からみて申請能力を有しない右祝賀団より提出されたものであつて、原告らが提出したものと認められないばかりでなく、その様式および記載事項についても再入国許可申請書としての所定の要件をみたしていないから、これをもつて原告らの適式な再入国許可申請書と認めることはできない。せいぜい、右祝賀団から被告に対する陳情書あるいは被告の意向を打診するための書類と目されるものである。したがつて、右書類が提出されたことをもつて、一二名の原告らから管理令二六条に基づく再入国許可申請があつたものということはできない。そうであるから、被告が原告らに対し不許可処分をしていないことはいうまでもない。もつとも、昭和四三年八月二〇日法務省入国管理局資格審査課長橋爪三男より原告許南麒ほか一名に対し、「国益にそわない」というような趣旨の理由を告げて、再入国許可はできない旨電話で連絡したことはあるが、これは原告らの再入国許可要請の意思表示に対し、現状においては諸般の状況よりして再入国許可申請がなされても許可できない旨の、法務省当局の意向を原告らの便宜を慮つて伝達したにすぎない。

以上のとおりであつて、被告が原告らに対して不許可処分をしていないことは明らかであるから、同処分の存在を前提として、その取消しを求める原告らの本件訴えはいずれも不適法であり、却下さるべきものである。

二  原告らの本訴が適法であるとの主張中、被告および法務省の職員が、原告らの本件再入国許可申請書と題する書面の形式的不備を指摘して原告らに告知したことのないこと、右申請書と題する書面が参議院議員亀田得治立ち会いのもとに、法務事務次官大沢一郎および当時の入国管理局次長笛吹亨三を通じて被告に提出されたことは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。入国管理事務所の窓口では、在日朝鮮人に対しても、その申出に応じて施行規則別記第二十五号様式の用紙を交付しているし、同施行規則二四条は、申請書の様式を規定しているにとどまり、再入国許可申請には、法務省備付けの用紙を使用しなければならないものではない。被告が、原告らの再入国許可申請書と題する書面の形式的不備を指摘して原告らに告知しなかつたのは、被告においては右書面を申請書と認めず、陳情書等であると認めたからである。

(本案についての答弁)

一  請求の原因一の事実中、原告ら主張の「再入国許可申請書」の提出が、再入国許可申請であるとの点、被告が不許可処分をしたとの点は否認し、その余の点は認める。もつとも、昭和四三年八月二〇日、法務省入国管理局資格審査課長橋爪三男から原告許南麒ほか一名に対し、電話で、「国益にそわない」というような趣旨の理由を告げて、再入国許可はできない旨伝えたことはあるが、これは、原告らの再入国許可申請の意思表示に対し、再入国許可申請がなされても許可できない旨の法務省当局の意向を原告らの便宜を慮つて伝達したものであることは前記のとおりである。

二  請求原因二、1の事実中、原告らが昭和四三年八月二二日日本国を出国し、同年九月九日の建国祝典に参列し、同年一〇月二三日日本国に再入国の予定であることは認めるが、その余の点は知らない。

同二、2、(一)の法律上の主張は争う。

同二、2、(二)の事実中、原告ら主張の韓国および朝鮮共和国向け再入国許可件数がその主張のとおりであること、右朝鮮共和国向け再入国を許可するに際し、被告が申請者の中から三名を指名して、原告ら主張のような手続をとるように指示したこと、右許可のあつた三名のうち、原告ら主張の二名が出国してその後日本国に再入国し、金徳洙が渡航しなかつたことは認めるが、その余の点は否認する。在日朝鮮人の朝鮮共和国向け再入国許可申請は、昭和三九年五月から同年一〇月までの間において四四八件である。この申請者らに対し、法務省入国管理局から、特に再入国許可を必要とする者はどれかと尋ねたところ、申請者らが一五名ないし二〇名を選択して申し出たものであつて、被告においてその人数を指定したものではない。右のうち再入国許可をした三名につき、すでに提出している施行規則別記第二十五号様式の申請書に所定事項を記入するようにしたか、あらためて申請書用紙に所定事項を記入するようにしたかは不明である。法務大臣が国会において、右二名が朝鮮において歓迎集会に参加し、日本国への出入国に際して政治的な宣伝材料に使われたことは好ましくない旨の答弁をしたことはあるが、これを口実にその余の申請を不許可にしたことはなく、それらはいずれも、正式に受理されていないものである。

請求原因二、3以下の法律上の主張はすべて争う。

(本案についての主張)

仮に昭和四三年八月二〇日に法務省入国管理局資格審査課長橋爪三男がした原告許南麒ほか一名に対する電話通告が処分であるとしても、原告らの再入国許可申請が管理令二六条、施行規則二四条に定める適式な申請でないことは、前記本案前の主張において述べたとおりであるから、被告が右申請を不適法なものとして却下して再入国の許可を与えなかつた被告の処分にはなんらのかしはなく、また、原告ら主張のような裁量権の濫用もしくは逸脱もない。すなわち、

一  国際慣習法上、外国人の入国の拒否は、当該国家の自由裁量により決定しうるものであつて、特別の条約が存在しない限り、国家は外国人の入国を許可すべき義務を負わないものである。人権に関する世界宣言一三条二項は、「何人も、自国を含むいずれの国をも去り及び自国に帰る権利を有する。」と規定する。右宣言は、一九四八年一二月一〇日第三回国連総会において、特に法的拘束力をもつものではないとの諒解のもとに決議されたものであつて、同宣言が法的拘束力をもつものでないことについて、学説においても異論をみないところである。それはともかくとしても、同条項に関する国連総会における討議の経過、国際法上の原則、国際慣行にかんがみ、同条項が一時帰国した外国人に再入国の権利を規定したものとすることは、到底できないところである。同条項は、外国人に対し、日本国からの出国を拒否しないというだけであつて、たとい生活の本拠が日本国にあるとしても、その者が再び日本国に帰つてくることまで保障するものでないことはいうまでもない。国際慣習法上認められた外国人の出国の自由についても同様である。また、国際人権規約も、一九六六年一二月一六日第二一回国連総会において採択されたが、これに加入または批准した国はなく、さらに、いわゆる離散家族の再会に関する決議も、国際赤十字の第一九回国際会議において決議されたものであるが、あくまでもモラルの次元のものであつて、確立した国際法的意識に支えられているものではなく、この決議は国家の代表者によるものではなく、法的拘束力を有しないものである。

二  日本国憲法二二条も「外国人の日本国に入国することについてはなんら規定していない」のであつて(最高裁昭和三二年六月一九日大法廷判決、刑集一一―六―一、六六三)、外国人は日本国への入国につき、憲法上の保障を有するものでもない。同条項により認められる外国人の出国の自由については、前記国際慣習法上の外国人の出国の自由についてと同一のことがいえる。さらに、外国人の再入国を単なる入国と別異に考うべき理由もなく、したがつて、日本国に在留する外国人が、一時出国して再び入国する権利は憲法上保障されているものではない。

三  以上一および二の背景のもとに管理令二六条の規定をみると、同条項は、再入国許可を被告法務大臣の自由なる裁量に委ねているものである。そこで、被告は、右の自由なる裁量権に基づき本件処分をしたものであるが、その理由はつぎのとおりである。すなわち、

朝鮮共和国には日本国の承認した政府がなく、また承認を前提とする修交関係がその地域と日本国との間にまだ設定されていない。かかる情勢のもとにおいては、在日朝鮮人の朝鮮共和国向け再入国は原則として許可しないというのが、日本国政府の従前からの政策であり、右は日本国をめぐる内外の情勢を勘案のうえ、国益すなわち内政、経済、外交、公安その他一切の国家の利益を考慮しての高度の(閣僚レベル)政治的判断から定まつたものである。そして、在日朝鮮人の朝鮮共和国向け再入国は、過去に三名につき人道上の理由で特に例外的に許可したにすぎない。被告は、右の政府の方針に基づき、原告ら個々人の個別的事情を調査することなく、本件処分をしたものであつて、そこには裁量権の濫用もしくは逸脱というようなかしはまつたくないのである。

第四  原告らの、被告の主張に対する答弁および反論

(認否)

被告の本案前の主張中、原告らの本件再入国許可申請書が被告主張の書類であり、その主張のような記載であつて、施行規則別記第二十五号様式ではないこと、その提出の際、旅券、外国人登録証明書等を呈示しなかつたこと、昭和四三年八月二〇日法務省入国管理局資格審査課長橋爪三男から原告許南麒に対し、再入国許可ができない旨の電話連絡のあつたことは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。

(反論)

一 管理令二六条一項は「……出国しようとするときは、法務省令で定める手続により、その者の申請に基づき、再入国の許可を与えることができる。」と規定しているのであつて、法務省令で定める手続によるべきは、被告法務大臣が許可を与える手続を指し、当該外国人の申請手続を指すものではないと解すべきことは、その文言上から明らかである。また、再入国許可申請の性質からしても、これを要式行為と解すべき根拠はない。したがつて、原告らの再入国許可申請は、「法務省令で定める手続」による必要はなく、これによつていないとして原告らの再入国許可申請がないとする被告の主張は理由がない。

原告らの本件再入国許可申請書によれば、一二名の原告らが集団として、被告に対しその記載の目的と日程とで再入国許可申請をしているものであることは極めて明瞭であり、さればこそ被告は、右申請に基づき許否についての審査をしたものである。したがつて、右の点と前記の点とを併せ考えれば、原告らの本件再入国許可申請書が施行規則二四条、同施行規則別記第二十五号様式に従つていないため、原告らの再入国許可申請がないとする被告の主張は、まつたくの形式論であつて理由がない。

在日朝鮮人の再入国許可申請に関する従前の慣行をみても、被告は原告らが提出したと同様式の申請書を提出させ、これに基づいて審査した結果、再入国を許可することに決定した段階になつてはじめて、施行規則別記第二十五号様式の用紙を申請者に交付し(その以前においては、その交付を請求しても、被告はこれに応じない。)、これに所定事項を記入させ、法務省又は入国管理事務所に出頭させて、施行規則別記第二十六号様式の再入国許可書を交付しているのである。そして、原告らのようにポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づく外務省関係諸命令の措置に関する法律(昭和二七年法律第一二六号)に基づいて在留資格を取得した在日朝鮮人は、すべて旅券を所持しておらず(原告らは、必要であれば朝鮮共和国政府から旅券の発給を受けることができるが、日本国政府はこれを承認しようとしない。)、したがつて、被告は、申請者に対して日本赤十字社の発給する身分証明書をもつて旅券に代えているが、右身分証明書は日本国政府の斡旋がなければその発給を受けることができず、日本国政府は再入国許可を決定した後でなければその斡旋をしていないものである。しかがつて、原告らとしては、当初から施行規則二四条に定める手続により申請することが不可能なものである。仮に、被告主張のように、原告らの本件再入国許可申請が施行規則二四条の定める手続によつていないので、申請そのものがないとするのであれば、被告が再入国を許可する場合以外はすべて再入国許可申請がないこととなり、管理令二六条の趣旨に反するもというべきである。

これを要約すると、第一に、原告らに対して被告主張のような施行規則二四条に定める手続を要求することは、原告らが旅券を所持しないことから不可能なことを強いるものであり、同条の規定自体が不備であるといわざるを得ず、被告が同条に定める手続によらないとして原告らを非難するのは自己矛盾である。そうであるからこそ、被告は前記のような施行規則二四条の定める手続によらない手続を慣行上とらざるを得なかつたのである。第二に、被告は、再入国許可決定のあるまでは、施行規則別記第二十五号様式の用紙を交付することを拒否しているのであるから、原告らが右様式に従がわないとして、申請そのものがないということはできないものといわなければならない。第三に、仮に被告主張のように、管理令二六条を再入国許可申請についても法務省令の定める手続によらなければならないと解するにしても、かかる手続を定めるのは被告であつて、被告がみずから原告らに対し本件のような再入国許可申請の手続をとるほかないように余儀なくさせている以上、原告らの本件再入国許可申請が法務省令の定める手続によつていないと主張することは許されない。第四に、施行規則別記第二十五号様式によるというような書類上の手続は、被告が再入国を許可する段階になつてからの形式上の手続であつて、実質はその前の段階で再入国許否の判断と処分がなされているものとみるべきである。

原告らが本件再入国許可申請をしたのは、被告の部下である法務省入国管理局の係官の指導に基づき、従前の慣行に従つて再入国許可申請書(乙第一号証、甲第一号証はその控である。)を、参議院議員亀田得治立ち会いのもとに、法務事務次官大沢一郎および法務省入国管理局次長笛吹亨三を通じて被告に提出したものである。被告は、右申請が適法であると認めたればこそこれに基づいて、審査のうえ、閣議の承認を得てこれを不許可とし、昭和四三年八月二〇日法務省入国管理局資格審査課長をして、原告らに対し電話で、さらに直接口頭でその旨通告させたものである。同日の日刊新聞夢刊の全国版(朝日、サンケイ、毎日、読売、日本経済の各新聞。)にも掲載されているように、日本国民全体が、原告らの再入国許可申請があり、被告がこれに対し不許可処分をしたものとみていることは明らかであり、それにもかかわらず、被告が右申請も不許可処分もないと主張することは、文明国の行政官庁として許されざるところである。原告らは、右電話通告を受けるまでの間、被告および被告配下の法務省の職員の誰からも、原告らの本件再入国許可申請書が不適式であるとか、補充せよとか、不適式を理由として却下するとかの発言や意思表示を一度も受けていないのである。仮に被告が不適式であると考えていたとすれば、被告は原告らに対してその旨告げるべきであり、そのことは、行政庁は公正でなければならない、というより以前の問題である。このことは、被告が原告らの本件再入国許可申請が適法であると考えていたことの証左であり、さればこそ前記のように不許可処分をなしたものである。

以上のとおり、原告らの本件再入国許可申請は適法なものであり、かつ、被告がこれに基づいて不許可処分をなしたものであることは明らかである。よつて、被告の主張は理由がない。なお、被告は、本件訴えの却下を求めているが、その主張するところは実体的理由によるものであるから、かかる申立ては許されないものである。

二  被告は、本件不許可処分が裁量権の濫用もしくは逸脱でないと主張するが、本件において被告は、被告の右処分が「政府の方針に基づいた」と主張するにすぎず、これをもつて処分の理由を明らかにしたということはできない。日本国憲法のもとにおける行政は、民主主義の原理が貫徹していなければならず、それは行政運営の面においても要求される。したがつて、被告が本件不許可処分をするについては、原告らを納得せしめるに足る具体的理由がなければならず、またこれを原告らに示さなければならない(たとえば旅券法一四条等。)。被告がさらに本件不許可処分の理由を明確にすることができないというのであれば、それは右処分が被告の恣意によつてなされたものであることを示すものである。

被告は、また、朝鮮共和国には日本国が承認した政府がないことが本件不許可処分の理由である、とも主張しているようではあるが、そうであるとすれば、ある国が日本国政府によつて承認されているかいないかによつて、再入国許否が左右されるべきものではないこと、ことに在日朝鮮人の再入国の問題は、日本国にとつて特殊かつ切実な課題であることは前記のとおりであつて、朝鮮共和国を日本国が承認していないことをもつて、本件不許可処分の理由とすることは許されない。現に、被告は、在日朝鮮人の韓国向け再入国については、日本国が韓国を承認していなかつた昭和三九年以前においても大量に許可していたものである。

第五  証拠関係《略》

理由

一まず、本件再入国不許可処分の存否について判断する。

1  被告は、本件再入国不許可処分のごとき処分をしたことはない、もつとも原告主張のごとき電話通告をしたことはあるが、これは原告らの再入国許可要請に対し現状においては諸般の状況よりして再入国許可申請がなされても許可できない旨の法務当局の意向を伝達したものにすぎない旨主張する。しかし、原告らが、いずれもポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づく外務省関係諸命令の措置に関する法律(昭和二七年法律第一二六号)二条六項に基づき、日本国に在留する資格を有し、現に日本国に在留する朝鮮共和国の公民であること、原告らが、昭和四三年七月二三日、参議院議員亀田得治立ち会いのもとに、法務事務次官大沢一郎および法務省入国管理局次長笛吹亨三を通じて、被告に対し、朝鮮民主主義人民共和国創建二十周年在日本朝鮮人祝賀団団長許南麒名義で、その名下に同祝賀団の印が押捺されている再入国許可申請書と題する書面を提出したこと、同書面には、昭和四三年九月九日は、朝鮮民主主義人民共和国創建二十周年にあたるので、同国の在外公民である在日朝鮮人において祖国の同胞とともに、この記念日を祝賀する準備を進め、このたび各界各層の代表者を網羅した「朝鮮民主主義人民共和国創建二十周年在日本朝鮮人祝賀団」を結成した、祝賀団員に選ばれた原告らは、昭和四三年八月二二日日本国を出国し、同年一〇月二三日日本国に再入国の予定で、朝鮮共和国の各種祝賀行事に参加したいので、再入国の許可を申請する旨の記載があること、もつとも右書面の提出の際、原告らの旅券、外国人登録証明書等が呈示されず、したがつて、右書面の提出が管理令二六条一項、施行規則二四条一項(同施行規則別記第二十五号様式)所定の手続によつていなかつたこと、右書面の提出があつた後、右書面による申請に対し、被告よりなんらの応答がないので原告らが同年八月一六日、不作為の違法確認の訴えを提起したところ(この点は本件記録上明らかである。)、同年八月二〇日、ようやく、法務省入国管理局資格審査課長橋爪三男から原告許南麒らに対し、国益にそわないから原告らの再入国を許可できないという趣旨の電話通告(以下「本件通告」という。)があつたこと、その間、被告もしくは担当係官から原告らに対し、右書面の提出が管理令二六条一項、施行規則二四条一項(同施行規則別記第二十五号様式)に適合しない形式的不備がある旨を指摘通知したことは一度もなかつたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、本件通告をなすに先立ち、被告は、原告らの再入国を許可すべきかどうかにつき実質的な審査を、その担当者である法務省入国管理局資格審査課においてなさしめた結果、「未承認国との往来は好ましくない」との理由でこれを許可しないこととし、同年八月二〇日、その旨閣議に報告してその了承を得て、本件通告をなさしめたものであることおよび前記橋爪三男は、本件通告日に原告許南麒の面談に応じ、その質問に対し、原告らの再入国を許可できないとしたのは、管理令二六条、施行規則二四条に基づく判断である旨を答えていることを認めることができ、右認定に反する証拠はないから、以上の事実関係のもとにおいては、被告は、原告らの昭和四三年七月二三日付再入国許可申請に対し、昭和四三年八月二〇日の法務省入国管理局資格審査課長橋爪三男の原告許南麒らに対する本件通告をもつて、本件不許可処分をなしたものと認めるを相当とし、右に反する証人橋爪三男の供述部分は、右認定に照し採用できず、他にこれを左右するに足りる証拠はない。したがつて、被告の前記主張は採用できない。

2  被告は、また、仮に本件通告が原告らの再入国許可申請に対する拒否処分であるとしても、それは、原告らの本件再入国許可申請が施行規則二四条一項(同施行規則別記第二十五号様式)に違背するものであるので、それを不適法として却下したものであり、不許可処分ではない旨主張する。しかし、〈証拠〉によれば、前記原告ら提出の再入国許可申請書と題する書面には、「祝賀団構成員」として一二名の原告らの氏名等が記載されていて、原告らが、昭和四三年九月九日の朝鮮共和国創建二十周年記念祝典および各種祝賀行事に参加する目的で、同年八月二二日日本国を出国し、同年一〇月二三日再入国する予定であること、〈証拠〉によれば、原告らのように、ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づく外務省関係諸命令の措置に関する法律(昭和二七年法律第一二六号)二条六項に基づき、日本国の在留資格を有する者は、もともと旅券を有せず、また、日本国が朝鮮共和国を承認していない以上、同国の発給する旅券を仮に原告らが有していたとしても、日本国がこれを認めず、したがつて、原告らとしては旅券を有することができない立場にあり、そのため、従前朝鮮共和国向け再入国許可を与えられた場合においては、旅券に代るものとして日本赤十字社の発行する証明書が使用されたが(この点は当事者間に争いがない。)、右証明書は日本国政府からの依頼がなければ、日本赤十字社においてこれを発行せず、日本国政府が右依頼をなすのは、すでに申請されている再入国許可申請の実質的審査をなし、これを許可すべきものと判断したときであり、したがつて、朝鮮共和国向け再入国許可申請に際しては、右証明書を呈示することができないものであること、これに対し被告には外国人登録原票の写があること、被告として、原告らの本件再入国許可申請が適式でないとした最大の理由は旅券またはこれに代る証明書が添付されていないことにあつたことがそれぞれ認められ、他に以上の認定に反する証拠はないから、以上の事実関係のもとにおいては、原告らの本件再入国許可申請が、旅券またはこれに代る証明書を呈示しないものとして、適法な申請ではないとするのは、妥当ではなく、原告らの右書面が施行規則別記第二十五号様式どおりでなくても、これを適法なものであると解するのが相当であり、これに反する趣旨の証人橋爪三男の供述部分は、採用できず、他にこれを左右するに足りる証拠はない。したがつて、原告らの本件再入国許可申請が不適法であることを前提とする被告の前記主張もまた採用するに由なきものといわなければならない。

二つぎに、本件不許可処分の適否について判断する。

1  管理令二六条一項は、「法務大臣は、本邦に在留する外国人(乗員及び第四条第一項第三号に該当する者を除く。)がその在留期間の満了の日以前に本邦に再び入国する意図をもつて出国しようとするときは、法務省令で定める手続により、その者の申請に基づき、再入国の許可を与えることができる。」と規定している。ここに再入国とは、単なる入国、出国と異なり(外国人登録法一二条の二)、日本国に在留資格のある外国人がその在留期間の満了の日以前に日本国に再び入国する意図をもつて出国することであり、在留期間その他(管理令二六条三項)による制限はあるにしても、その実質は、日本国における在留地を生活の本拠とする一時的な海外旅行であると解せられる。ところで、憲法二二条は、何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転の自由を有し、海外移住する自由を侵されない旨を規定しているが、その趣旨からみて、そのなかには、一時的海外旅行の自由(渡航の自由)を含むと解すべきであり(最高裁昭和三三年九月一〇日大法廷判決民集一二巻一三号一九六九頁参照)、また、同条は日本国にあつて日本国の主権に服するすべての外国人にも適用があると解するのが相当である(最高裁昭和三二年一二月二五日大法廷判決刑集一一巻一四号三三七七頁参照)。そうであるとすれば、上記管理令の条項は、「再入国の許可を与えることができる」というのであつて、規定の形式からすれば、再入国を許可するも不許可にするも法務大臣の全く自由な裁量であるかのごとくであるが、再入国許可申請者が日本国の利益又は公安を害する行為を行なうおそれがあるなど公共の福祉に反する場合に限つて、再入国の許可を拒否することができるにすぎない趣旨と解さなければならない。

2  そこで、本件不許可処分の理由についてみると、被告の主張は必ずしも明らかでない(処分の具体的理由を示さず、そのこと自体行政事件訴訟の基本原則に反すると考えられる。)が、要するに、被告は、朝鮮共和国には日本国の承認した政府がなく、また承認を前提とする修交関係がその地域と日本国との間にまだ設定されていないので、在日朝鮮人の朝鮮共和国向け再入国は人道上の理由で許可する場合のほか原則として許可しない、というのが従来からの日本国政府の方針であり、本件不許可処分もこの方針によつたものであるというにあるので、案ずるに、前段説示の渡航の自由は、日本人のみならず日本国に在留するすべての外国人にとつても基本的な人権であるから、前示のとおり、日本国の利益又は公安を害する行為を行なうおそれのある者でない限り、いずれの国向けの再入国であつても許可せらるべきであり、その国が日本国の政府によつて承認されているか否かによつて再入国の許否が左右さるべきではない。したがつて、被告の右主張は失当である。

なお、〈証拠〉によれば、朝鮮共和国と同様に日本国政府の承認した政府のない中華人民共和国向け再入国が、過去において約三〇〇人について許可されていることを認めることができ、右認定に反する証拠はないから、以上の事実によれば、未承認国向け再入国を許可しないということは、必ずしも従来からの日本国政府の方針ではなかつたことを窺い知ることができる。

3  それ故、本件不許可処分は、管理令二六条一項の趣旨に違背し、違法であるといわざるを得ない。

三結論

以上の次第で、本件不許可処分は、取り消さるべきものであるから、爾余の点につき判断を進めるまでもなく、原告らの本訴請求はいずれも理由があるのでこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。(杉本良吉 中平健吉 渡辺昭)

当事者目録

原告 許南麒(ホナムキ)

(ほか十一名)

右訴訟代理人弁護士 近藤綸二

(ほか十八名)

被告 法務大臣 赤間文三

右指定代理人検事 小林定人

同  法務事務官 福田智一

(ほか二名)

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